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ちくわの歴史

古墳時代にはじまり今日もなお親しまれる伝統の食材「ちくわ」

時は3世紀古墳時代、神功(じんぐう)皇后という方がいらっしゃいました。皇后は三韓渡航で生田の杜に立ち寄った際に、鉾(槍)の先に魚肉のすり身をくっつけ、火に炙って召し上がられたようでございます。

その時の練り物の姿かたちが、植物の「蒲の穂(ガマノホ)」によく似ていたこと、また、「鉾(ホコ)」を用いていたことから、のちに転じて「蒲鉾(カマボコ)」と呼ばれるようになったと伝えられています。

見ての通り、姿かたちは現在のちくわそのもの。その昔「蒲鉾」と呼ばれていたものが、現在のちくわの始まりだったのであります。当時の蒲鉾は武士やお殿様が特別な時に召し上がる、めでたく、非常にぜいたくな食材で、庶民は食べることを許されておりませんでした。

18世紀、江戸時代中期になると、蒲鉾(現在のちくわ)は武士から商人、町人へと次第に広まっていきました。幕末のころには、下級武士は貧しくなっていき、蒲鉾をはじめとしたぜいたくな食品をなかなか口にできない武士が増えていきました。

その一方で裕福になった商人たちが高級食材である蒲鉾を食べるようになると、それをねたんだ武士たちは、「町人の分際で武士の魂である『鉾』を食べるとは何事だ!」と嫌がらせを言うものが出るようになりました。そこで人々は、蒲鉾の切り口が竹の輪に似ていることから呼び名を「竹輪(ちくわ)」とし、武士にわからない隠語として使うようになったそうです。

「竹輪」は「知久和」とも書かれ、「和をとわに知る」という意味で、その後もおめでたいものとして珍重されてきました。

やがて板つけの蒲鉾が作られるようになると、板のあるものを「かまぼこ」、串に塗りつけて焼いたものを「ちくわ」と呼ぶようになりました。

ちくわやかまぼこなどの練り製品は、その土地で獲れた魚を原料とし、風土に合わせた姿で、各地に誕生していきました。

動物性タンパク質を魚介類から摂ることが多かったその昔、生ものの魚は保存がきかず、代わりにちくわに加工をすることでたいへん重宝されるようになりました。

ちくまるくん生誕の地、愛知県三河地方は、ちくわの原料である海の幸が豊富に手に入ったため、昭和30年代まで魚屋や練り製品の店が軒を連ねていたほど活気にあふれていたそうです。また当時、魚類が不足している信州には、ちくわを一日でも長持ちさせるために、塩を使った「塩漬竹輪」が誕生し、豊橋のちくわ発展の源となりました。

近年になると機械化や技術の進歩で大量生産が可能となり、どの家庭でも簡単にちくわが食べられるようになりました。そんな中、なおも伝統的な製法にこだわり続け、石臼ですり身を作り、塩加減、練り具合などその日その日の異なる材料や気候にあわせて、最も美味しい一本になるよう一つ一つ心を込めてつくる企業も残っています。

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